レポート課題の書籍...辛い

以前にもちらっとぼやきましたが、J・ル=コブ著「時代区分は本当に必要か?」を読んでていて、しんどくなってきました。

 

 

以前はこの本のタイトルについてのモヤモヤを吐露しましたが、やっぱり読みにくい。

内容はいいと思います、はっきりいって面白いです。が、読みにくい。

専門書だから読みにくいというのではなく、単に文章が読みにくい。。。

 

いくつか例をあげます。

 

P.119

 十九世紀になると、中世とその思想の再評価が見られるが、それでもまだエルネスト・ルナンは『イエスの生涯』(一八六三) のなかで(中略)中世についての評価は変わっていない。中世の人々とは未開人なのだ。

 

この段落の最後の一文はどういう意味でしょう?(ちなみにこれで一段落全部です)


この文章だけ読むと、「中世の人々とは未開人なのだ。」というのは、課題図書「時代区分は本当に必要か?」の著者であるJ・ル=コブさんの意見や主張とも取れます。

 

しかし、実際にはJ・ル=コブさんはこの主張に反論しようとしているので、おそらくこの文の最後の一文はエルネスト・ルナンさんの意見として書かれているのだと思います。

 

こういう他人の意見なのか、自分の意見なのかが非常に曖昧な記述が至るところに見られます。なので、読んでいて「え、どっちなん」と躓いてしまうのです。

 

また、別の例もあげます。

 

P.140

 ヨーロッパの外の地域からもたらされる飲料や野菜は、十六世紀以降あまり普及していない。たとえば、ココアや紅茶である(それでもイギリス、オランダ、ロシアに限った話だが)。

 

この文は、最初に否定文がきて、つぎにその補足の文がきます。つまり意味としては否定の続きです。
ところが、最後のカッコ文もまた否定です。

 

これを素直に読むならば、「ココアや紅茶があまり普及しなかったのはイギリス、オランダ、ロシアに限った話だ」と読めてしまいます。

 

おそらく、意図はそうではなく「ココアや紅茶はイギリス、オランダ、ロシアで少し普及したが、全体として普及したとは言えない」ということだと思います。ややこしい。

 

これ以上、例をあげませんが、一段落中に話が変わることや、一段落中になんども否定文が現れることが多々あります。一つ一つの文は、注意深く読めば特に問題なく読めます。

 

ですが、全体を通してこういう感じなので、とても頭が疲れます。

 

これは専門書だから難解だというわけではありません。専門書であってももっと素直な記述が可能です。


J・ル=コブさんはフランスの方ですが、フランスではこういうスタイルが良いとされているんでしょうか?

 

と、また、ぼやいてしまいましたが、この本の内容は面白いですw

この本を読むまでJ・ル=コブさんが否定しようとする「中世は暗黒でルネサンスは光の時代だ」という考えを、私も持っていました。それがこの本を通じて、その辺りの知識を獲得できたのは良かったです。

 

 

そろそろレポート書かないと...

気がつけばもうすぐ第1回目のサポート期限が近づいてきました。

今回はいくつかのレポートを提出するつもりですが、まだ1つも書けていません。。。

 

にしても、提出方法がかなり面倒ですね。Web提出可のものはいいんですが、Web提出を認めていないものは、紙で提出することになります。その様式も独特でこれまた面倒そう。

 

ワープロワープロって...)可のものなら印刷できるからいっかぁっと思っても、英語のレポート用紙は解答用紙に横線が引かれていて、この横線に沿ってちゃんと印刷できるのか全く自信がありません。きっと何度か試し印刷してみるとかっていう不毛な作業が発生しそうで(確実にすると思います)今からゲンナリしています。だからといって、手書きは絶対に避けたい。

 

今回選択した科目にはないですが、恐ろしいことに、手書きのみという科目もちらほらあります。本当に本当にゲンナリします。印刷された文書ではどんな不便があるというんでしょうか...

 

きっと悪筆で悩んだことがない人が「手書きのほうが気持ちが伝わるから」とかって言ってたりするんですかね...

 

絶対採点する先生(あるいはRA?) も手書きよりも印字されているほうが読みやすいと思うんですけどが。。。本質的なところ以外で消耗することが本当に辛い

 

 

とか言ってないで、はやくレポートやらないと。

 

慶応通信文学部第2類のブログって少ないんですね...

最近、同じ慶応通信の方のブログを色々拝見させていただいていたんですが

慶応通信文学部第2類のブログが少ない...

さ、寂しい...

 

なんでなんですかね?確かに、文学部第2類は、2020年5月1日時点での在学生数を見る限り全体の7%くらいなんで、その比率でいけばブログの数が多くはないというのは理解できます。

でも、色々検索かけたりブログ村で探したりしましたが、なかなか見つからない。ぐぬぬ

 

逆にいえば、いくつかは見つけましたが、もっとあってもいいのに!やっぱり史学なんてものを専攻に選ぶのは、その時点で何か違うんでしょうか...

 

と、思ってみたものの、実際7%って少ないですよね。ブログ100個あったら7個しかない確率ってことですし、当然この比率に従ってブログがでてくるわけではないですから、ゆらぎを考えればブログ100個中2,3個でも当然くらいなのかもしれません。

 

とすれば、やっぱり史学を選ぶ人が少ないのが根本原因ということですね。

まぁなんというか、史学が今の仕事に結びつく人は多くないでしょうしね...

 

その中でも見つけたのがこちらのブログ。

 

ameblo.jp

 

書評ライター(!)をされているそうです。すごい。なんかかっこいい。

入学も同期のようなので、なんだか励まされます。

 

史学概論、面白い

ざっと史学概論を読んでみて、また何冊か関連の図書も読んでみました。

教科書をまとめるのはこれからやるので、まだ知識として完全に整理できているわけではありませんが、とても面白い分野だと思います。

 

最も印象深かったのは、「歴史の解釈・認識(あるいは記述)というものは個々の歴史研究者の分だけある」という主張です。というか、こういう認識は歴史を志す人には当たり前のことかもしれませんね。。なんせニワカの歴史学生なもので...

 

それでも小中高と歴史を習ってきた「だけ」の身からすると、歴史にはまず「確定された事実」があって、それを暗記するものという印象がとても強く。つまりは歴史は物理学者が光の速度やプランク定数を確定したものと扱うがごとくに歴史事実を確定したものとして、その類推から歴史の解釈・認識も確定したものとしているっという理解でいました。

 

もちろん、ときに事実がひっくりかえったり、解釈・認識にブレがある(特に近現代について)ということも承知していましたが、それはたまにそういうことがあるもので、基本的には多くの歴史研究者の一貫した歴史認識というものがあるのだと勝手に妄想していました。いや、もっと正確にいえば、そう思っていたんだなぁっと気付かされました。

 

とはいえ、歴史を解釈・認識するのに本当に自由気ままにやってよいわけではなく、できる限りの史料を調査し、それらを基に妥当な推論を適用し、歴史研究者の独自の認識にいたるということだと思います。どの史料を重視するか、どう史料を評価するか、どういう推論規則を適用するかが研究者の腕の見せどころなんでしょうね。

 

歴史は自由で反面、とても慎重にならないといけない学問なんですね。

 

 

 

勉強時間をどう確保するか

最近、悩んでいるのが勉強時間の確保の方法です。

 

平日は仕事と家族と趣味のスポーツに時間を使います。週末はほぼ家族にがっつり時間を使いつつ、スポーツと会社以外で受けている個人の仕事に費やします。つまりは、勉強時間を上手く確保できていません。

 

今は、日中の細切れの時間と少しの睡眠時間を使ってなんとか勉強していますが、そのうちマズイことになりそうです。しっかり時間を作るために、何かの時間を削らないといけないわけですが、どれも私の人生にとって優先度の高いものばかりなので、非常に難しい(字面だけだと趣味の時間けずればっとも思いますが、趣味につかってるのは週に数時間程度ですし、これはこれで子供への教育効果や自身のQOLなんかもあるわけで。。。ムムム)。

 

つい深く考えずに勢いで通信生になったので、いまさらこんな問題に悩んでいます。なんとかしないと...

 

というか、こういうブログなんて書いてる時間もったいないなとも思いもしますが...まぁ、アウトプットの場があるとモチベーション維持にも役に立つので...

 

 

慶応の図書館に行ってみたら、入れなかった...

史学概論の参考図書が欲しいなと思って、せっかく学生証もあるんだし、図書館にいって参考図書を借りよう!と、ウキウキしながら慶応の図書館にいきました。

 

 

が、結果は図書館に入れませんでした。。きー、コロナの奴め!

というか、ちゃんと行く前にサイトで確認すべきでした。。

11/2から通常の慶應義塾生は普通に入れるようですが(11/2までは要予約)、通信生などはまだ入れないようです。

 

そして、図書館の受付で教えてもらったんですが、通信生はスクーリング期間か、卒論申請をしている状態じゃないと本を借りれないとのことでした!ひえー

 

いや、これも調べておけという話なんですが、まったくそういう想定がなかったので、びっくりしました。

 

学費が安いので、こういう制限があるんでしょうか?しょうがないので地元の図書館で頑張っていきます。

 

史学概論とぼやきと

まず最初に履修する科目として、史学概論を読んでみることにしました。

理由は、タイトル的に最初に読むのがよさそうだと思ったのと、教科書が薄かったからw と、思ったらレポートで別の本を読めって書いてあった。なるほど、そう来るか。

史学概論というタイトルから勝手に「世界史か日本史かの、通史をざっと眺める概説的な科目かな」と思っていたましたが、全然違いました。史学自体を取り扱うメタな科目でした。史学史というか、歴史とはどういう学問かを考える科目で、こういう分野があることを知りませんでした。

とても面白い教科書なんですが、1974年に書かれた教科書が未だに現役のようで、この分野の進展の難しさを感じます(30年以上現役の教科書というのも、実に凄いことで、それを書かれた神山先生は素晴らしいとは思います)。あと、文章のスタイルがなんというか、意図を把握しづらいことがたまにあります。

また、哲学書独特の議論展開に少し慣れないところも、ちょっとしんどいところですね。明確な結論がない問題に対して、ああでもないこうでもないっとずっと議論の散歩につきあわされる感覚があって、「で、何がいいたいんだろう」と思ってしまうことが多いです。

とはいえ、まだこの神山先生の本は読みやすいほうで、さらにしんどいのはレポート課題の本「時代区分は本当に必要か? 」でした。

この本は私にとって、とても読みにくく、つらい本です。もちろん前提知識が足りないがゆえというのもあります。が、それを差っ引いても、もっと文をちゃんと修正すれば読みにくさがかなり解消するなと思う箇所がとても多いです。

そもそもこの本はタイトルがあまり良くない。。。「時代区分は本当に必要か? 」というタイトルですが、実際の内容の8割くらいは「ルネサンスという時代区分、あるいはその評価は妥当か」という内容です。本の最初と最後に少し時代区分に関する言及がありますが、あとはずっとルネサンスについてです。

もちろんルネサンスという具体例を出してきて、時代区分という大きな概念を検討するという趣旨は理解できます。さらに代表的な時代区分である「古代、中世、近代」がルネサンスを契機に誕生したという背景も理解できます。ですが、時代区分はもっと様々なものがあるわけですし、やはり時代区分という非常に大きな概念に対して、たった1つの具体例で検討するというのは、どうなんでしょうか?例えば「和菓子の旨さについて」という本の大半が「どらやき」について語っていたとしたら、それは「和菓子の本」ではなく「どらやきの本」だと思います。

文系で論文を書くようになってから、こういうタイトルが非常に大きな書籍、論文を本当によく目にします。理系での研究経験からいうと、こういう大きすぎるタイトルは、それ自体で一発アウトな論文だと思われたりします。なぜなら正確でないタイトルをつけてしまうということは、自分の研究の範囲を正しく理解できていないということだからです。

と、まぁぼやいていてもしょうがないですね。史学概論という学問自体は面白そうなので、参考文献になりそうなものを5冊くらい借りてきて、しっかり理解したいところです。